謹賀新年 あけましておめでとう

どもども、あけましておめでとうございます。

2020年もあっという間に終わったよね、ブログの読者のみんなの一年はどうだったのって話、2021年はもう始まってるんだよね(関暁夫)

個人的な話なんだけど2021年で20になるんすよ、5年くらい前から一ミリも進歩してないのに歳だけは嫌でも取るの何とかしてくれ(何ともならんが)


で、Twitterだと写真まとめてやったけどせっかくのブログだし2020年を1ヶ月ごとにじっくり振り返ってみようと思います。
1月、山手線からE231系500番台が引退、HM付いたけど思ったより荒れることも無くすんなり終わったよね。
2月、新潟へ 暖冬のため雪は全く降らずシラケたよね、半年後にラニーニャ現象聞いた時は飛び跳ねて喜んだよね、ガチで大歓喜したけど思いのほか雪ヤバすぎて上越線は長岡〜水上が連日運休、関越道が5,60km以上に渡って4,5日間通行止め、妙高高原の雪がヤバすぎて黒姫止まりになったりちょっとアカンかもしれない。
次撮る時に支障がなきゃいいけど。
3月、最初で最後の只見線ヨンマル。
最初は磐越西線に急行色が入る予定で行ったけど急遽青髭になったから折角だしまだ撮ったことないし只見線でもやるか!って事で。
あの時は急行色が入らなくて正直ガッカリしたけど今思えば差し替えに感謝。
実は4月じゃなくて3月最終日、30分くらい崖をよじ登って初のいすみ鉄道、この後足をヒルに噛まれて血まみれになった、クソが。
因みに4月は鉄してない、というかカメラすら握ってない。
5月、復帰戦は郡山工臨だったかな、因みにこれが俺の岩切ロンチキの最終撮影。
鳶色のロンチキはなんだかんだ片方エプロン付いてない状態を撮ってみたり撮ったあと学校へ特攻したりお世話になった被写体でした、ありがとう。
同じく5月、東神奈川工臨。
自宅から10分のところが現場、お手軽でした。
6月は人生初のトワ釜、珍しく特異なメンツで撮りました、釜ってなんでもカッコイイよな、トワイライトとか日本海の時代を撮れてなかったのが今でも悔しくてザブングル。
7月、人生初の青森・北海道
五能線やら函館市電やら、帰りの新幹線で熱中症になってぐったりしてた、車内販売もないからあの時は死ぬんじゃないかと思った、新青森着いた時に速攻で自販機までダッシュして水買いまくって飲んで治した。

詳しい事は別記事で書いてあるからよかったら見てね。
7〜10月は深夜回送と武蔵野線の205。
関東に残る最後の原顔205の幕車と歴代のロマンスカーが2週間に一度本線上を"夜に駆ける"つってな、バリしょーもない。
毎週毎週夜に家を飛び出して武蔵野線、京葉線へ通い詰め。
最後くらいHM付けるなりサヨナラ放送くらいしてくれても良かったと思うんだけどな、ただポスターには社員の様々な想いが込められてて胸が熱くなったよね。
10月、関東で撮るものもないしヨンマル以来半年ぶりに只見工臨の為に只見線へ。
レールを器具じゃなくて大胆にクレーンで吊り上げる姿は圧巻、詳しくは別記事で書いてあるから見てね(宣伝)
11月、紅葉狩りに長野へ。
スカ色5連の為に気温0℃だか2℃だかで川へ入水、足が死ぬかと思ったし実際足の感覚ほぼ消えた。
にしてもやっぱりスカ色には青幕普通がよく似合う、普通ワンマン幕ガチで無くしてくれ、頼むから。
乗車位置変わる訳でもないんだしいいじゃん。
12月、豪雪地帯へ。
年の瀬を締めくくるフィナーレは115で。
雪国な事もあってこの時期は連結器カバー標準装着、連結器カバーすらクッソかっけぇのヤバイよなこの被写体。
荒れる日本海を背に走る姿も越後特有の造りの古民家の横を抜ける姿もなんでも似合う、たまらん。
今年も絶対115バッチバチにキメると覚悟決めたよね。



とまぁそんな感じで2020年は東日本中心に各地を巡りに巡ってた訳でして。
2021年も115を中心とした国鉄型の撮影をこれからも頑張るので不定期更新だけどブログ見てくれると嬉しいです。
長々と駄文読んでくれたそこの君!どうもありがとう。
それじゃ次の記事でお会いしましょう。(不定期更新だからいつになるか分からんが)
ほいじゃまた。

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